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東京地方裁判所 昭和44年(ワ)7277号 判決 1973年3月29日

原告

駐留軍要員健康保険組合

(昭和四四年(ワ)第七二七七号事件)

原告

田中よし子

(昭和四四年(ワ)第七六二〇号事件)

被告

鈴木一嘉

(昭和四四年(ワ)第七二七七号事件・昭和四四年(ワ)第七六二〇号事件)

被告

東京協同タクシー株式会社

(昭和四四年(ワ)第七六二〇号事件)

主文

甲事件被告鈴木一嘉は同事件原告駐留軍要員健康保険組合に対し二四万四、〇〇〇円およびこれに対する昭和四三年一二月二六日から支払い済みに至るまで年五分の割合による金員を支払え。

乙事件被告鈴木一嘉は同事件原告田中よし子に対し一二四万七、〇六六円およびこれに対する昭和四四年八月一〇日から支払い済みに至るまで年五分の割合による金員を支払え。

甲事件原告駐留軍要員健康保険組合の同事件被告鈴木一嘉に対するその余の請求ならびに乙事件原告田中よし子の同事件被告鈴木一嘉に対するその余の請求および同事件被告東京協同タクシー株式会社に対する請求をいずれも棄却する。

訴訟費用のうち、甲事件について生じたものはこれを五分し、その二を甲事件原告駐留軍要員健康保険組合の、その余を同事件被告鈴木一嘉の各負担とし、乙事件原告田中よし子と同事件被告鈴木一嘉との間に生じたものはこれを五分し、その二を同事件原告田中よし子の、その余を同事件被告鈴木一嘉の各負担とし、乙事件原告田中よし子と同事件被告東京協同タクシー株式会社との間に生じたものは同事件原告田中よし子の負担とする。

この判決は主文第一、第二項に限り仮に執行することができる。

事実

第一当事者の求める裁判

一  甲事件原告駐留軍要員健康保険組合は、「被告は原告に対し三九万一、〇四二円およびこれに対する昭和四三年一二月二六日から支払い済みに至るまで年五分の割合による金員を支払え。訴訟費用は被告の負担とする。」との判決ならびに仮執行の宣言を求める。

二  乙事件原告は、「被告らは各自原告に対し二四九万七、八五四円およびこれに対する昭和四四年八月一〇日から支払い済みに至るまで年五分の割合による金員を支払え。訴訟費用は被告らの負担とする。」との判決ならびに仮執行の宣言を求める。

三  甲、乙事件被告鈴木一嘉は、「原告らの請求をいずれも棄却する。訴訟費用は原告らの負担とする。」との判決を求める。

四  乙事件被告東京協同タクシー株式会社は、「原告の請求を棄却する。訴訟費用は原告の負担とする。」との判決を求める。

第二当事者の主張

一  甲事件原告組合の請求の原因

(一)  甲事件原告組合は、健康保険法二九条に基づき、被保険者およびその家族の健康保持促進を目的として設立された法人である。

(二)  また、乙事件原告田中は、被保険者の一人であるが、昭和四一年一月一六日午後六時五分頃、東京都板橋区成増二〇番地先川越街道を横断中、両事件被告鈴木運転の普通乗用自動車(線五れ五四―一四号、以下「甲車」という。)にはねられ、全身打撲および左脚部挫傷の傷害を受けた。

(三)  右被告鈴木は、前方を十分注視して安全を確認しながら運転をすべき義務があるのに、これを怠り漫然運転した過失によつて、本件事故を惹起させたものである。

(四)  ところで、甲事件原告組合は、乙事件原告田中に対し、事故当日から昭和四三年九月三〇日までの療養費二九万五、五一六円と、昭和四一年四月一八日から同年一〇月一七日までの傷病手当金九万五、五二六円を、昭和四三年一二月四日までに支給した。

そこで、甲事件原告組合は、右給付の限度において、乙事件原告田中が両事件被告鈴木に対して有する損害賠償請求権を取得した。

(五)  よつて、甲事件原告組合は、右被告鈴木に対し三九万一、〇四二円およびこれに対する、遅滞したことの明らかな昭和四三年一二月二六日から支払い済みに至るまで民法所定年五分の割合による遅延損害金の支払いを求める。

二  乙事件原告田中の請求の原因

(一)  乙事件原告田中は、前叙のごとく両事件被告鈴木運転の甲車に衝突されて傷害を受けたほか、同年九月二六日午前一一時五二分頃、東京都千代田区内幸町一丁目一番地先交差点において、乗車していた都電に、訴外福沢智運転の営業用普通乗用自動車(足立五え二三―一二号、以下「乙車」という。)が衝突したため、都電内で転倒し、この両事故のため、治療不能な頸部鞭打損傷兼頭部外傷後遺症に悩まされている。

(二)  しかして、甲車との衝突は、前叙のごとく右被告の過失によるものであるから、同被告は、民法七〇九条に基づき、それによつて乙事件原告が蒙つた損害を賠償すべき義務があり、また、被告会社は、乙車を所有し、これを自己のため運行の用に供していたものであるから、自賠法三条に基づき、乙車が都電に衝突したことにより乙事件原告田中が蒙つた損害を賠償すべき義務があるところ、同原告の前記傷害は、右両事故が競合したため生じたものであるから、両被告は、共同不法行為の関係にあるものとして、連帯して全損害を賠償しなければならない。

(三)  ところで、乙事件原告は、右両事故に遭遇していなければ、毎月、昭和四一年一〇月頃で二万八、〇〇〇円を、昭和四三年四月頃で三万円を受給し得たはずであるが、両事故のため、昭和四一年一〇月から昭和四三年三月末まで休業を余儀なくされ、またそれ以降も、自賠責後遺障害等級六級三号該当の後遺症状のため、向後一〇年間労働能力を六七パーセント喪失した状態で稼働しなければならない。そうすると、同原告のこの点の損害は、昭和四三年三月末までが五〇万四、〇〇〇円、それ以降の分が、中間利息をホフマン式により控除して算定すると一八五万〇、〇〇三円となる。

また、以上のような諸事情によると、両事故により受けた同原告の精神的損害を慰藉するには一五〇万円が相当である。

(四)  同原告は、この損害に関し、甲事件原告組合から傷病手当金九万五、五二六円を受給したほか、自賠責保険から一二三万円を受給した。

(五)  よつて、乙事件原告は、同事件被告らに対し二四九万七、八五四円およびこれに対する、本訴状送達の日の翌日以降の日である昭和四四年八月一〇日から支払い済みに至るまで民法所定年五分の割合による遅延損害金の連帯しての支払いを求める。

三  両事件被告鈴木の請求原因に対する答弁

(一)  甲事件ならびに乙事件原告ら主張事実のうち、両事件被告鈴木がその主張の日時、場所を甲車を運転して通りかかつたことは認めるが(但し、時間は午後六時三〇分頃)、甲車が乙事件原告田中をはね、同原告に傷害を負わせたとの事実は否認し、その余の事実はすべて不知。

仮に、同被告において傷害を負わせたものとしても、甲車の接触は極めて軽微なもので、もともと、本件直後の診断では、頭部外傷の証跡はなく、後遺症の残る虞はないものとされていたものであつて、これが主張のごとき乙事件原告田中の後遺症の原因となつたものとは考えられず、また同被告が、同被告に責任を問い得ないところの、昭和四一年九月二六日の事故や事故と全く関係のない同原告の持病である腰痛症等による損害を負担しなければならない理由はない。すなわち、同原告は、昭和三八年頃から腰痛症、リユウマチ様関節炎の持病に悩まされていたほか、以前にも腰部や頭部を打撲したことがあり、これらの既往症や更年期障害がその症状に無縁であるとは考えられず、また、先天的てんかんに起因する疑も強い。

さらに、本件事故現場の道路は、幅員一六・六メートルの交通量の激しい、いわば事実上自動車専用道路と化している道路で、しかも、真近には信号機付横断歩道もあつて、本件衝突現場は、歩行者の横断の予想されないところであつた。両事件被告鈴木は、前方七、八メートルの至近距離になつてはじめて同原告田中を発見したのであるが、これは、同所付近が高い崖に狭まれた上り坂で見通しが悪く、また、日没後であつて照明も十分でなく、しかも、右前方に先行車両があつたからであつて、同被告鈴木に過失があつたとはいえず同原告田中の行動は、いわゆる「信頼の原則」に牴触するものである。

(二)  また、百歩を譲り、同被告鈴木に過失があつたとしても、右原告田中にも前記のごとく、危険な場所を、危険な時間帯に、しかも容易にとり得る安全な横断方法をとらずに、本件道路を横断した過失があるので、損害額の算定にあたつては、その過失を斟酌すべきである。

四  右抗弁に対する原告らの答弁

乙事件原告田中に過失があつたことは否認する。仮に、あつたとしても極めて軽微な程度のものである。

五  乙事件被告会社の請求原因に対する答弁

乙事件の請求原因事実中その主張の日時・場所において、訴外福沢運転の乙車が都電に接触したこと、同事件被告会社が乙車の運行供用者であることは、認めるが、この事故により同事件原告田中が主張のような負傷をしたことは否認し、その余の事実はすべて不知。

第三証拠関係〔略〕

理由

一  (事故の発生および責任の帰属)

(一)  〔証拠略〕によれば、次の事実が認められる。

1  両事件被告鈴木は、昭和四一年一月一六日午後六時五分頃、甲車を時速約四〇キロメートルで運転し、川越方面から池袋方面に向けて幹線道路である川越街道を走行し、東京都板橋区成増町一三二番地先に差しかかつた際(このうち、同被告がその日時、場所を通りかかつたことは、原告らと被告鈴木との間では争いがない。)約五メートル前方を同一方向に走行する日野コンテツサの直前の陰より右から左へ小走りに横断中の乙事件原告田中を、八メートルの至近距離になつてはじめて発見し、急制動の措置をとるとともに、右に転把して同原告との衝突を回避しようとしたが、間に合わず、甲車左バツクミラー付近を同原告の腰部に接触させるに至つたこと。

2  本件事故現場の道路は、車道幅員一六・六メートル、その両側に各四・二メートル幅の歩道のある道路であつて、本件事故地点は川越から池袋方面に向う上り勾配の坂の中間であるが、前後各々一〇〇メートル以上は直線部分であつて、見通し状況は良いこと。同所付近は、当時横断禁止となつておらず、横断歩道も、前後各々一〇〇メートル以内には設置されていなかつたこと。しかし、甲車側の進行方向から見て、左側歩道の左側は高い崖となつており、また、右側歩道の右側も本件接触地点の直前のところまで高い崖であつたが、それから先は商店街となつていて、付近に街路灯はあるが、暗かつたこと。

なお、同所付近は、本件事故発生後、歩車道の境にガードレールが設けられたほか、横断禁止規制がされるようになつていること。

3  右原告田中は、川越方面から池袋方面に向つて、本件事故現場の道路の右側歩道を歩いていたが、本件接触地点に至つたとき左側の歩道に横断することを思い立ち、一応左右に注意を払い、至近距離に走行車両のないことを確認したうえ、横断を開始したところ、車道の中央付近に至つたとき、左の川越方面から間近に迫つてくる車両に気付き、急いで横断を終えようと、小走りに横断を続けていたが、甲車に歩道から約四メートル前後の地点付近で接触され、その場に転倒し、一時意識を喪失していたこと。なお、右原告田中は、当時、成増駅に向つていたもので、そのためには、本件現場で横断せずとも、一〇〇メートル以上前方に設けられた信号機のある横断歩道で横断しても何ら差支えなかつたこと。

以上の事実が認められ、この認定に反する甲A第五号証の四、五および両事件被告鈴木本人の供述部分は、乙事件原告田中の供述内容ならびに事故直後における右被告鈴木の右原告田中ないし右被告の母親に対する素振・言勤や警察官に対する供述内容に照らし信用できず、この他右認定を覆えすに足りる証拠はない。

以上の諸事実によれば、本件事故現場の道路は、幹線道路であるとはいえ、横断禁止になつておらず、しかも、商店街に接し、近くに横断歩道も設置されてはいなかつたというのであつて、横断歩行者の存在が予想されるところであるから、右被告鈴木は、自動車運転にあたつては、前方を注視して安全を確認しながら運転すべき義務があるのに、漫然前方注視不十分のまま進行した過失を犯し、これにより右原告田中の発見が遅れ、本件事故を惹起させたものであることが明らかである、そうすると、同被告鈴木は、本件接触事故(以下、これを「第一事故」という。)により右原告田中が蒙つた損害を、民法七〇九条に基づき、賠償しなければならない。

しかしながら、右原告田中としても、夜間、幹線道路を横断しようとするのであるから、走行する車両との安全を確認して横断を開始すべきであつたのに、漫然走行車両との目測を誤り、走行する車両の直前を横断しようとしたもので、このような同原告の過失が本件事故発生に影響を与えたことも否定できず、したがつて、前記右被告鈴木の過失態様および本件事故現場の状況とに照らすと、同原告が本件第一事故により蒙つた損害のうち、両事件被告鈴木の負担すべきものは、七〇パーセントと認めるのが相当である。

(二)  〔証拠略〕によれば、次の事実が認められる。

1  訴外福沢智は、昭和四一年九月二六日午前一一時五二分頃、乙車を運転し、通称日比谷通りを日比谷方面から南進し、東京都千代田区内幸町一丁目一番地先の信号機によつて交通整理の行なわれている交差点において、霞ケ関方面に右折しようと、交差点の約二〇メートル手前で右折の合図をしたうえ、青信号に従つて交差点に進入し、交差点の中心よりだいぶ離れた外側で一時停止したところ、南進してきた訴外須藤啓三運転の都電の左前部と自車右前部が衝突したこと(このうち、右日時、場所において、訴外福沢運転の乙車と都電とが衝突したことは、原告田中と被告会社との間では争いがない。)。

2  右日比谷通りは、南北に通じる車道幅員三三メートルの道路であるが、その中央部約七メートルを都電軌道敷が占めており、また、右交差点は十字型交差点であつて、東方新幸橋方面に向う道路は車道幅員一二・三メートル、西方霞ケ関方面に向う道路は車道幅員三四メートルであつたこと。

3  右須藤は、右交差点の手前にある内幸町停留所で停車し、乗客の乗降を終え、青信号になつたので約八キロメートルの速度で進行を開始したところ、都電と同時に発進したが、右折すべく合図をしながら一時停止中のタクシー数台の右側を通過した直後、左後方から追い抜いてきた乙車が右転把して都電敷の中に進入してきたので、急制動の措置をとつたが間に合わず、衝突したこと。

4  右原告田中は、その都電に乗車していたが、間もなく降りるため、出口の方へ歩いていたところ、都電の右急制動により頸部に衝撃を受けたこと。

5  右都電には三〇名前後の乗客があり、また、乙車にも乗客があつたが、この事故の際には、原告田中のほかには負傷者はでなかつたこと。

以上の事実が認められ、右認定を覆えすに足りる証拠はない。

そして、乙事件被告会社が乙車の運行供用者であることは、当事者間に争いがないから、他に特段の事情につき主張・立証のない本件では、同被告は、右事故(以下、これを「第二事故」という。)によつて原告田中の蒙つた損害を、自賠法三条に基づき賠償しなければならない。

(三)  乙事件原告田中は、右両事故が共同不法行為の関係にあるものと主張しているが、右認定のごとく、両事故は時間を異にして発生しているものであつて、右主張のような関係にあるものと認めることはできない。

二  (傷害の程度および因果関係)

〔証拠略〕によれば、次の事実が認められる。

(一)  乙事件原告田中は、本件第一事故により左足踵部に挫創を受けたほか、全身が痛み、特に腰部は、起立・歩行が不可能な程強い疼痛があつたため、事故当日から順天堂大学医学部附属順天堂医院に入院して治療を受け、腰痛は残つていたものの、一応症状が軽快し、同年二月五日に退院したこと、その間、同原告は、当初右のほか強い後頭部痛を訴え、嘔吐することもあつたが、脳波検査によるも異常はなく、右症状も神経ブロツク術等で軽快し、退院時には消失していたこと。したがつて、当時他覚的な後遺症は残らない見込とされていたこと。

(二)  右原告田中は、同年三月末までの間、同医院に一五回通院して諸検査および治療を受けたが、症状は軽快せず、自宅での横臥を余儀なくされるような状態であつたため、同年四月から第二事故までの間に、右医院に一二回通院したほか、慶応義塾大学病院に同年四月二一日から同月二六日まで入院して諸検査を受け、また、同病院に五回、聖路加国際病院に二回、駿河台日大病院に三回、東京慈恵会医科大学附属病院に約六五回各通院して、診療を受けたこと。そして、順天堂医院を除いては各病院における診断名は、いずれも頭部外傷後遺症ないし頸椎鞭打ち症候群であつたこと。

また、同原告も、同年六月頃でも、頭痛、項部痛、肩こり、手足しびれ感、耳鳴、眩暈、悪心、不眠、精神的イライラ等頭部外傷後遺症ないし頸椎鞭打ち症候群の典型的症状を訴えているほか、他覚的にも、頸部の運動制限と上下肢知覚障害があり、脳波検査ではてんかん特有の異常波が出現するに至り、その頃から抗てんかん剤の投与を受けたこと。

(三)  ところが、同原告は、慈恵会病院通院途上、本件第二事故に遭遇し、頸椎の運動制限が重くなつたほか他覚的所見には変化はなかつたが、肩と頸部の痛みが悪化し、整形外科的な新たな対症治療が行なわれたこと。

(四)  同原告は、第二事故後も昭和四三年九月末頃までの間、右慈恵会病院に一三九回通院したほか、その間聖路加病院に一回、順天堂医院に一五回、北池袋診療所に四三回、代々木病院に四八回、鬼子母神病院に一二回各通院して治療を受けたこと。そのような治療にも拘らず、同原告は、昭和四二年九月頃、てんかん性痙攣発作を起し、同年一一月中旬同様の発作を、また、昭和四三年八月頃にも軽い不完全発作を二回起したこと。

しかし、同原告は昭和四三年三月末頃、慈恵会病院において、症状固定したものと診断されたこと。当時、同原告には、神経的な頭痛および項部から両上肢に放散する疼痛が残つていたほか、右顔面および右上肢に軽度の知覚障害があり(昭和三九年二月一日施行の自賠責後遺障害等級一〇級一二号該当<昭和四二年八月一日施行のそれの九級一四号該当>)、また投薬によるも完全な抑制をし得ないてんかん発作が残つたこと(同旧一〇級一二号該当<新九級一三号該当>)。右症状のうち、神経的なものは漸次軽快してゆくことが見込まれていたが、昭和四五年六月頃にも、右顔面の知覚障害と強い頭痛が発現することがあり、またてんかん発作の方は、大きな改善は予想できないもので、昭和四四年中にも二回の発作があつたこと。

以上の事実が認められ、右認定を覆えすに足りる証拠はない。

右原告田中は、自己に残つた後遺障害は六級相当であると主張するが、同原告の後遺障害が前記認定以上であること、特にそのてんかん発作が充分な治療にも拘らず一カ月に一回以上の発作の発生する状態にあることを認めることのできる証拠はないから、この主張は理由がない。

右認定の治療経過、その間の症状等の諸事情と前記認定の第一事故の態様とその際同原告田中が短時間ではあるが意識を喪失した事情を綜合すると、同原告は、本件第一事故の際左右踵部および腰部を負傷したほか頭部外傷および頸椎挫傷を負いこれにより右認定のような長期の治療を要し、それにも拘らず後遺障害を残してしまつたことが推認される。このように、右原告田中の傷害および後遺障害は殆んど第一事故に起因するものと認められる。

しかしながら、本件第二事故も、同原告の症状を増悪化させているから、その限度では、同原告の傷害に影響を与えているものと認めるのが相当であるが、この第二事故によつて同原告に大きな新たな症状が発生したとか、後遺障害の程度に影響を与えたことを認めることのできる証拠もない以上、本件第二事故が同原告の傷害に与えた影響は、第二事故発生以降の治療期間の概ね二割程度、その余はすべて第一事故によるものと認めるのが相当であり、したがつて、第二事故の加害者である乙事件被告会社の負担すべきものは、第二事故の治療期間中に同原告が蒙つた損害の略二割に限らるべきである。

なお、〔証拠略〕によれば、同原告は、昭和三八年一月末頃腰痛に悩まされ、その頃から順天堂医院に通院して治療を受け、その後間もなくして指関節・膝関節に痛みが生じ、リウマチ性関節炎の診断名の下に併せて治療を受け、腰部痛の方は同年一〇月下旬には軽快し、治療を打切つたが、リウマチのためのステロイド剤鎮痛剤の投与は続けられ、これは、本件第一事故入院中にも行なわれたこと、同原告は、その後も本件第一事故発生までの間に胸部や両膝や腰部を打撲したとして治療を受け、いずれも本件第一事故までに軽快していたこと、同原告は、第一事故発生前にも、スケートを行つている際転倒し、右側頭部と右肩を打撲したことがあつたが、本件第一事故発生時までには治癒していたことが認められ、この認定を覆えすに足りる証拠はない。両事件被告鈴木は、右原告田中の既往病歴が同原告の傷害に影響している旨主張するが、右認定の事実のみでは、同原告の傷害に影響を及ぼしたものと認めることができず、他にこれを認めることのできる証拠もないから、同被告の主張も理由がない。

三  (原告組合の損害)

〔証拠略〕によれば、甲事件原告組合は、その組合員であつた乙事件原告田中の前記のごとき治療に伴ない、昭和四一年四月から同年九月までの療養費として一〇万一、〇八八円を、同年一〇月から昭和四三年九月までの療養費として一九万四、四二八円を、また、昭和四一年四月一八日から同年一〇月一七日まで同原告が稼働し得ない状況にあつたため、同年四月一八日から同年九月二六日までの傷病手当金として八万四、一六四円を、同月二七日から同年一〇月一七日までの傷病手当金として一万〇九六二円を、いずれも昭和四三年一一月末頃までの間に支出したことが認められ、右認定に反する証拠はない。

そして、前記認定に係る右原告田中の傷害の部位・程度に鑑みると、同原告の前記のごとき治療は、相当性のあるものと認められるが、前記したごとく、同原告の第二事故以後の治療のうち略二〇パーセントは、第一事故によるものとは認められず、また、第一事故の発生には同原告の過失も寄与していることに照らすと、健康保険法六七条に基づき請求する右原告組合の第一事故の加害者たる両事件被告鈴木に対する請求は、二四万四、〇〇〇円の限度において理由があるがこれを超えるものは失当である。

四  (乙事件原告田中の損害)

(一)  逸失利益

前記認定に係る乙事件原告田中の傷害の部位・程度に、〔証拠略〕ならびに当裁判所に顕著な昭和四一年ないし昭和四六年までにおける一般女子労働者の平均賃金の額等を総合すれば、次の事実が認められる。

すなわち、第一事故の発生当時、四四才の独身女性であつた右原告田中は、訴外太平洋エクスチエンジ・日本地区本部に店員として勤めていたが、前記傷害に伴い、少なくとも昭和四三年三月まで休業を余儀なくされ、昭和四一年一〇月から収入を得ることができなかつたのであり、その後症状は固定したとはいうものの、少なくとも、その後五年間は四五パーセントの、その後の五年間は三五パーセントの、各労働力を喪失した状態で稼働しなければならないこと、同原告は、第一事故当時、右同所から、夏期・年末手当を含めると一月当り二万八、〇〇〇円の収入を得ていたのであり、右休業がなければ少なくとも昭和四三年三月まで右収入は継続され、そして、右時点では、その収入も三万円以上となつていたこと、同原告は、前記後遺障害がなければ、その後一〇年間は、少なくとも一月三万円の収入を受け得たであろうことが認められ、右認定を覆えすに足りる証拠はない。

そうすると、前記認定のごとき第二事故の影響割合および第一事故の際における右原告田中の過失を斟酌し、さらに中間利息をライプニツツ式により控除して算出すると、この点の同原告の損害の昭和四四年七月末現価のうち、被告鈴木において負担すべきものは一〇七万円、被告会社において負担すべきものは一〇万〇、八〇〇円とするのが相当である。

(二)  慰藉料

前記認定のような、第一、第二事故の態様、乙事件原告田中の傷害の部位・程度、治療経過、後遺症状等本件に現われた諸般の事情を考慮すると、本件第一事故により同原告の受けた精神的損害は、一〇〇万円をもつて慰藉されるべきであり、本件第二事故により同原告の受けた精神的損害は、二〇万円もつて慰藉されるべきものと認めるのが相当である。

(三)  損害の填補

以上のとおり、乙事件原告田中に対し、両事件被告鈴木は二〇七万円を、乙事件被告会社は三〇万〇、八〇〇円を各支払うべき義務があるところ、同原告が甲事件原告組合から傷病手当金九万五、五二六円を受給したほか、自賠責保険から一二三万円を受給したことは、同原告の自陳するところであるが、本件弁論の全趣旨によると、右自賠責保険金のうち、五〇万円は乙車についての保険から、また、残七三万円は甲車についての保険から各支給されていたことが認められ、右原告組合からの受給も、前記認定のとおり、昭和四一年四月一八日から同年一〇月一七日までの休業に対するもので、そのうち第一事故によるものは、九万二、九三四円、第二事故によるものは、二、一九二円と算定するのが相当である。そうすると、同原告の右被告会社に対する請求は、既払であること明らかであり、また、同原告の右被告鈴木に対する請求は、二〇七万円から八二万二、九三四円を控除した一二四万七、〇六六円の限度について理由がある。

五  (結論)

よつて、乙事件原告田中の両事件被告鈴木に対する請求は一二四万七、〇六六円およびこれに対する本訴状送達の翌日以降の日であることが本件記録上明らかな昭和四四年八月一〇日から支払い済みに至るまで民法所定年五分の割合による遅延損害金の支払いを求める限度で理由があるのでこれを認容し、同原告の同被告に対するその余の請求および乙事件被告会社に対する請求は、いずれも理由がないので棄却することとし、また、右原告組合の同被告鈴木に対する請求も、二四万四、〇〇〇円およびこれに対する事故発生以降の日であつて、同原告において給付した日以降である昭和四三年一二月二六日から支払い済みに至るまで民法所定年五分の割合による遅延損害金の支払いを求める限度で理由があるので、これを認容し、同原告のその余の請求は、理由がないので棄却することとし、訴訟費用の負担について民事訴訟法八九条、九二条、九三条を、仮執行の宣言について同法一九六条を各適用して、主文のとおり判決する。

(裁判官 渡部吉隆 田中康久 大津千明)

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